R&Bアーティスト名鑑

■アーティスト名
ALICIA KEYS (アリシア・キーズ)
■本名
Alicia J. Augello-Cook (アリシア・ジェイ・アゲーロ・クック)
■生年月日
1981年1月25日
■出身地
ニューヨーク州ニューヨーク・マンハッタン
■概要
1981年1月25日、ニューヨーク州のニューヨーク、マンハッタンにて、法律関係の仕事に携わるアイルランド系イタリア人の母親Terri Augelloとジャマイカ人の父親Craig Cookとの間に生まれたアリシアは、2歳で両親が離婚し(現在は復縁)、母親のもと、幼少期をマンハッタンのヘルズ・キッチン(Hell's Kitchen)で過ごす。7歳からピアノをはじめ、クラシックからジャズまで幅広く音楽を学ぶ。そして14歳の時からピアノだけでなく、学業と歌唱のレッスンをこなし、さらには作曲も始めていた。
1996年、その後長きに渡ってAlicia(アリシア)のマネージャーを務めることとなるJeff Robinson(ジェフ・ロビンソン)と出会う。そのJeff Robinsonを通し、後にArista Records(アリスタレコード)のA&Rに就任するPeter Edge(ピーター・エッジ)を紹介される。既にこの時にAlicia Keys(アリシア・キーズ)の才能を見いだしていた2人の働きかけにより、各地でライブ活動を行うようになり、さらには大手Columbia Records(コロンビアレコード)との契約にこぎつけるまでとなる。
これをきっかけに音楽活動に専念するために、16歳で地元の芸術・演劇系の高校を首席で卒業しコロンビア大学に入学したアリシアだが、たった4週間で大学を辞めることとなる。
その後Jermain Dupri(ジェメイン・デュプリ)のレーベルSo So Def(ソーソーデフ)と契約。1996年のクリスマス企画アルバム『12 Soulful Nights of Christmas
さらに、翌年の大ヒット映画『Men In Black
しかし、この2曲ともにColumbia Recordとの契約の問題上シングルリリースすることが出来なかった。2つの絶好のチャンスを逃し、キャリアは大きく花開くことのないままColumbia、So So Defとの契約を終えることとなる。
ところがそのすぐ後に、同じくAliciaの才能を見いだしていたArista Recordの創設者、Clive Davis(クリブ・デイビス)が2000年に設立した新しいレコード会社、J Records(ジェイレコード)と契約。映画『Shaft
さらに『Dr. Dolittle 2
そして2001年、満を持してフルデビューアルバム『Songs in a Minor
2002年のグラミー賞では、このアルバムの先行シングル『Fallin』が、最優秀楽曲賞(Song of the Year)を獲得するなど5部門を受賞。
セカンドシングルの『A Woman's Worth』もビルボード総合チャートで最高7位につけるほどのヒットとなった。
2003年、セカンド・アルバム『The Diary of Alicia Keys
Kanye West(カニエ・ウェスト)プロデュースの1stシングル『You Don't Know My Name』を始め、多くの曲がアルバムからシングルカットされ、どれもビルボードチャートで上位にランクインするほどのヒットを記録し、Alicia Keys(アリシア・キーズ)の名前を全世界に轟かした。
また、2ndシングル『If I Ain't Got You』はビルボードのHip Hop/R&Bチャートにおいて1年以上ランクインし続けた最初の女性アーティストの曲、という快挙を成し遂げた。
翌年2004年にはUsher(アッシャー)のアルバム『Confession(Special Edition)
2005年、しばらく制作休止中だったMTVの名物番組『MTV Unplugged』がAliciaの強い希望で復活し、念願であった出演を果たす。
2007年1月『Smokin' Aces
2009年10月、Jay-Zにフューチャーされたシングル『Empire State Of Mind』が全米1位に。同年12月に4thアルバム『The Element Of Freedom
DJ YAZ
R. Kelly (アール・ケリー)
■本名
Robert Sylvester Kelly (ロバート・シルベスター・ケリー)
■生年月日
1967年1月8日
■出身地
イリノイ州シカゴ
■概要
母と3人の兄弟たちと貧困の中、幼少期を過ごし、Chaka Khanなどを輩出したケンウッド・アカデミーに入学。音楽を学び、まずはR. Kelly & MGMというグループとしてキャリアをスタートさせたが内輪もめの末に脱退する。
その後BlackgroundレーベルのCEOでありGradys Knightの元夫Barry Hankersonに見出され、R. Kelly & Public Announcementとしてメジャーデビューを果たす。そして1992年にはアルバム『Born Into The 90'S』をリリース。 『She's Got That Vibe』などのヒット曲を産み出し注目を集める。
翌年1993年秋、ソロデビューアルバム『12 Play』をリリース。シングル『Bump & Grind』はビルボードポップチャートで1位になり、その他の『Your Body's Callin'』『Summer Bunnies』などのシングルもヒットを記録する。
1994年にはBarry Hankersonの姪だったAaliyahのデビューアルバム『Age Ain't Nothing But A Number』を全面プロデュース。当時27歳だったR.Kellyと15歳のAaliyahは婚姻届を提出したといわれているが、Aaliyahの年齢詐称で結婚は破棄され、 そこで2人は公私ともに関係に区切りを付けることになる。(Aaliyahが2001年8月25日にに若くして飛行機事故で亡くなった時は大きなショックを受けたと言われている。)
そして自らの名をそのままタイトルにしたアルバム『R・Kelly』を1995年にリリース。400万枚以上を売り上げる。この頃ソングライターとしての才能も開花させ、Changing Faces、Janet Jackson、Michael Jacksonなどの楽曲をプロデュースし、 それらを続けざまにヒットさせている。ちなみにMichael Jacksonの『You Are Not Alone』はビルボードチャートで1位になった。
1996年、"神様"と称されるバスケットボール選手、Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)主演映画『Space Jam』サウンドトラックに『I Believe I Can Fly』を提供。この曲はヒットを受け、2つのグラミー賞を獲得。
1998年、2枚組アルバム『R』を発表。Celine Dionとの共作で『I'm Your Angel』と題されたファーストシングルはビルボードチャートで2度目となる1位を記録。『R』は800万枚以上を売り上げR. Kellyの最もヒットしたアルバムとなった。
2000年、アルバム『12 Play』の続編として『Tp-2.Com』(Twelve Play-2の意)をリリースし、Jay-Zを迎えた「Fiesta」を発表。
その後、Jay-Zの『Guilty Until Proven Innocent』にR. Kellyが参加したのを経て、Jay-ZとR. Kelly2人の共同制作によるアルバム『The Best Of Both Worlds』を2002年にリリースする。
Hip Hop、R&B界をリードする2人のトップスターの共作ということで大いに注目を集める。
しかし、R・ケリーと14歳の少女との性行為や少女の排泄を撮影したビデオテープの存在が明らかになり、瞬く間にインターネット上でも公開され話題になる。この問題に関してはR. Kellyに対し無罪判決が出されたが、他にもいくつかの同様なスキャンダルが噴出。本来バックアップされるべき地元シカゴでもラジオ放送拒否などとなり波紋を広げた結果、アルバムは商業的には失敗に終わる。
その後名誉挽回を計るべくハードワークぶりはさらに加速し、2002年『Chocolate Factory』、2004年『Happy People / U Saved Me』、2005年『TP.3 Reloaded』、そして2007年には『Double Up』をリリース。
その旺盛な制作意欲はとどまる事なく、復活を印象づけた。
近年においても2009年に『UNTITLED』、2010年には『Love Letter』と立て続けにアルバムを発表し、今もなおR&B界のトップに君臨し続けている。(参考 : wikipedia )
DJ YAZ

